
セクマイ当事者として、昨今のマイノリティに対する行き過ぎた「尊重」や「配慮」に違和感を覚える。
レッテルを貼られるのが嫌なはずなのに、どんどんカテゴリを増やし細分化していく。
自らレッテルを貼るという矛盾。
正直、細かすぎて僕もよく分からない(笑)
ブログを始めてから、十数年見ていなかったセクマイの方々のSNSを、こっそりのぞき見るようになった。
なんていうか、勉強になります。はい。
「なんで認めてくれないの?」
このような思想のセクマイ当事者もいて、なんか昔と変わってないなぁ...と、思ってしまった。
胸がキュウゥゥゥンって、少しだけ苦しくなったよ。
そんな君には、アンジェラ・アキさんの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」を、ぜひ聞いてほしい。
今でも色褪せない名曲だ。
僕もこの歌を聴いて、たまに枕を濡らしている。
それはさておき、SNSをチラ見して思ったもう一つのこと。
「同じカテゴリの人とだけ仲良くなりたい」という人も多い気がした。
これに関しては、別に否定するつもりはない。
悪いことでもなんでもないと思うから。
でも、都合のいい時だけ自分の権利を主張するのは納得できないと思ってしまった。
そうなってしまうと、本当の意味で社会的認知は進まない。
時には声を上げることも大切だけど、自分と違う価値観の人に対して「無知」と批判したり「無理解だから」と排除したりするのは、なんか違う気がする。
寛容な社会を望んでいるはずなのに、いつしか先鋭化し独善的な正義で他者を差別する側に回っているのでは?
全員がそうだと言っているわけではないけれど、自分の権利ばかりを主張している人たちはそこら辺の不条理に気づくべきだと思う。
あくまで、僕個人の意見だけれども。
性だけの問題に限らず、個々のさまざまな意見・価値観・倫理観で成り立っているこの世界。
もちろん、抱えている悩みも人それぞれ。
セクシャルマイノリティに対しても、どう捉え、どう感じるかは、本来個々の自由なはずなのでは?
多様性を主張するわりに、「マジョリティを啓蒙してやる!」という思想の人が多い気がした。
そういう思想の人の意見が目につくだけなのかもしれないけれど。
確かに、セクシャルマイノリティ当事者にとっては、今まで言えなかったことがようやく言える時代になりつつある。
誰でもこうやって自由に、自分の意見を世に伝える手段がたくさんあるから、すごい時代になったよね、ほんと。
僕の青春時代には考えられなかったことだもの。
それでも自分の意見だけを押しつけて、他者の意見を聞かないのは、よろしくないと思うわけです。
なかには、これまで「異性愛」が当たり前と思っていた人も大勢いるでしょ。
つまり、セクシャルマイノリティについて「知らなかった人」。
「異性愛が当たり前」という環境で育ってきた人もいれば、教育されてきた人もいる。
セクシャルマイノリティ当事者、アライの人(セクシャルマイノリティを理解している人・支援する人)、無関心の人、否定的な人。
さまざまな考え方の人がいるのは仕方ない。
というよりも、当たり前だと思う。
その人たちに対して、突然「差別主義者だ!」と糾弾し、罪を負わせたような発言をするのは、やっぱりどこかおかしい。
これだと、反発されるのも仕方のないことだと思う。
セクシャルマイノリティに限った話だけではなく、「どうせ責めるんだろ?こっちの話は聞かないんでしょ?」と思ってしまうと、相手の話を聞く気にもならないはずだ。
僕だって、そんな人と話はしたくない(笑)
だからこれは、非常に難しい問題でもある。
セクシャルマイノリティの人たちを避難すれば、マジョリティ側の人間が簡単に葬られてしまう。
この場合、本当の弱者はどっちになるのだろう...?
そんなことを考えるわけです。
それでも、差別意識がないのに当事者を傷つけてしまう言葉はある。
悪意のない言葉が「差別だ」と言われ、炎上することもしばしば。
そうなると、どうなってしまうのか。
マジョリティ側の人たちは「何も関わらない方がいい」と敬遠してしまうのではないだろうか。
自分の穏やかな暮らしが破壊される恐怖があるから。
だから関わらない。
知ろうとしない。
負の連鎖だ。
これだと一生交わることはない。
家族のあり方や宗教上の観点などから、セクシャルマイノリティに対して否定的な考えが強く残っていることも事実。
結局のところ、日本では「多様な性のあり方」についての理解はあまり進んではいないのではないだろうか。
それぞれ事情があって、その人のバックグラウンドがある。
お互いに理解するかどうかは別として、まずはその人を「否定しないこと」が大切なのではないかと思う。
そもそも、セクシャリティに関わらず、他人のことを100%理解しようなんて無理な話だ。
過敏になりすぎたら本質を見失ってしまうのではないだろうか。
僕は個人的に、差別ではなく区別は必要だと思っている。
もちろん、「そんなことはない」って意見もあるだろう。
だからといって、自分と反対の意見をシャットアウトしてしまうのは非常にもったいない。
僕は、自分と考えが違う人の意見って、逆に興味が湧く。
受け入れるかどうかは別として、そこには新たな気づきがあるから。
おもしろいよね、ほんと。
人間っておもしろい。
昨日なに食べた?
ってくらい、性に関する話も気軽にできるようになるといいよね。
なんだっていいじゃんそんなこと~どうだっていいじゃんそんなこと~
ってKinKi Kidsが言ってたよ。
愛されるより愛したいよまじで。
でも愛されるのも悪くないよね。
何が言いたいかっていうと、「性的マイノリティ」という言葉自体がなくなればいいなと思っているよ、ってこと。
以上、おもちのつぶやきでした。







