
自分の言いたいことや、やりたいことを周りの視線を気にせずできる人は強い。
何かをやろうと思うがなかなかできない…。
その行動を阻む要因のひとつとして挙げられるのが「世間の目」だったりする。
自分はこう言いたい!こうやりたい!そう思ってはいるけど、周りが気になって何もできずにいる人。皆がこうだからこう。長い物には巻かれろという、日本のよくない風潮。
それって結局、自分の意志の弱さなのだろうか。
人と人が混ざり合うスクランブル交差点で意味もなく「助けてくださーい!!」と叫べと言われても気が引ける。あいにく僕は、そんな度胸持ち合わせていない。
だがしかし、大切な人が本当にスクランブル交差点でぶっ倒れたら、「誰かたすけてくださぁぁぁぁあい!!」って叫べるはず。
人の目を気にして何もできないって、ちょっともどかしい。
世間体とか、アンチのディスリとか気にしていたら、本当に何もできないし、何も発信できない。
皆が見てるとか、あの人にこう思われたらとか、手に汗かくんじゃなくて、それをパワーに変換してきた。本気になれば、周りなんて気にならなくなる。否、気にしてられなくなる。
こう考えられるようになるまで、時間は要したのだけれど。
セクシャリティが人と違うということで、後ろ指さされたことは何度だってある。好奇の目を向けられたことだって、数えきれない。忘れた。
目は口程に物を言うっていうけれど、それって結構本当で、あの何とも言えない視線は、できればもう、味わいたくない。特に学生時代は辛かったよね、とふたりでよく話す。もうね、心に余白が全くなかったんだろうね。あの頃は。いい意味でも悪い意味でも、いろんな意味で必死すぎたんだろうな。かわいい。
今思い返してみても、学生時代は学校という狭い組織の中で、希望と絶望の狭間で揺れ、一番つらい時期だったのかもしれない。
できれば忘れたいけど、きっと忘れちゃいけない感情でもある。
だからこそ、今悩んでる人がいたら、言いたい。
大丈夫。今は辛くても、生きてりゃきっといいことあるよ。ひとりだと思っても、絶対そんなことはない。
きっと誰かが助けてくれる。そして知らないうちに、自分も強くなっている。
辛いのも、苦しいのも自分だけじゃない。形はどうであれ、人は皆何かと戦っているのではないだろうか。
えげつない裏切りや、絶望の淵に立たされたとき、不思議と人間は成長できる。寧ろ、そのフェーズなくして、人間の強さは磨かれない。
自分の目で見て、自分の体で感じたからこそ分かるリアル。子どもの頃に転んでできた傷は、かさぶたとなって消え、あの時の涙は強さに変わった。体も心も傷を負って強くなる。つらいのは、強くなっている証拠。
周りの意見を聞くことも大事だけど、自分の気持ちを大事にしたい。
そんなことを、ゲームセンターでひとりで踊り狂う大人を見て、そんなことを思った。







